「この商品、便利ですよ」「お得ですよ」――こうした言葉だけでは、なかなか人の心は動きません。現代においては、商品やサービスそのものの魅力だけでは、お客様に選ばれる理由にならないことが増えてきました。同じようなモノやサービスがどこでも手に入る今、最後の決め手となるのは「誰から買うか」「どのような背景があるか」といった“物語”の部分ではないでしょうか。
私は事業経営コンサルタント / 行政書士として、また商い支援の現場で、多くの事業者の方々と関わってまいりました。その中で、「物語があるお店は強い」と確信するようになったのです。
味では負けていない。でも選ばれない理由は?
あるパン屋さんの事例をご紹介しましょう。駅から離れた住宅街にあるそのお店は、ご夫婦で営む小さなベーカリーでした。味には定評があり、地元では一定の人気がありました 。ところが、近隣に大手チェーンのベーカリーが進出してきたことで、お客様の流れが徐々に変わり、以前のように安定した売上が保てなくなったそうです。
ある日、ご主人が「パンの味では負けていないと思うんですが…」とおっしゃったのをきっかけに、私はお店の成り立ちについて詳しくお話を伺いました。すると、開業は奥様の病気がきっかけだったという話が出てきたのです。体調を崩して会社を辞めた奥様が、かつて趣味だったパン作りを再開して近所の方やお友達に配ったところ、思いがけず好評を博し、「これを売ったらいいのに」という声が広がり、ご夫婦で開業に踏み切ったという経緯でした 。
これは素晴らしい物語です。困難から立ち上がった経験、地域とのつながり、そしてご夫婦の想いが詰まった開業ストーリー。そこで私は、店内に小さな紹介コーナーを設け、「パン屋ができるまで」という手書きのストーリーPOPを置くことを提案しました。また、SNSでもその経緯を少しずつ紹介していったのです。
するとどうでしょう。常連のお客様から「そんなことがあったなんて知らなかった。もっと応援したくなった」といった声が次々とSNSに届くようになったのです 。中には「うちの子、ここのパンじゃないと食べないのよ」と写真を添えて投稿してくださるお客様も現れました。
「きっかけ」「出会い」「変化」―あなたにもある“語るべき物語”―
物語は「知ってるお店」を「応援したい存在」に変える力を持っています。商品だけで勝負する時代ではなく、「人」が見える商いがお客様に選ばれる時代になったのだと思います。
では、どのような物語を伝えればよいのでしょうか?実は、特別な話でなくても良いのです。ポイントは、「きっかけ」「出会い」「変化」の3つです。
1.きっかけ
なぜこの仕事を始めたのか。誰のために、どのような思いで始めたのか。その原点には、必ず他者に共感される何かが宿っています。
2.出会い
お客様とのエピソードは宝の山です。あるお客様の言葉が励みになった、あるいは厳しいご意見がきっかけで改善した、といったリアルなやり取りは、目にした人の心を動かします。
3.変化
始めた頃と今とで、ご自身やお店がどう変わったか。その歩みは、あなた自身の成長物語でもあります。
この3つを組み合わせて語ることで、あなたの商いに厚みと温かさが加わるでしょう。
物語が生まれる場所は、いつも日常の中に
また、物語を語ることでご自身も変化します。パン屋のご夫婦も「最初は恥ずかしかったけど、伝えてよかった」とおっしゃっていました。人に話すことで、当時の気持ちを思い出し、ご自身の商売に誇りを持てるようになったそうです。
語り方も難しくありません。たとえば先ほどのパン屋さんのようにPOPを置くのはいかがでしょう。商品の横に、「この商品を最初に買ってくれたのは近所に通う高校生でした」と書くだけで、温かさが伝わります。SNSでは、「今日は仕込み中に思い出した、開業当時の話」など、小さな話を積み重ねていくだけで問題ありません。あるいは、Instagramのストーリーズで「今朝、こんなお客様との会話がありました」と日常を切り取るだけでも、“顔が見える店”になります。
さらに言えば、物語を「更新し続ける」ことも大切です。過去の思い出を語るだけでなく、現在進行形のストーリーもあります。たとえば「このレジ袋は、近くの高校生と一緒にデザインしました」「この新メニューは、常連の〇〇さんのアイデアから生まれました」といった具合に、お客様や地域とのつながりの中から、日々新しい物語は生まれていきます。
お客様の“物語”の一部になれる店へ
“物語”を語る商いには、人が集まります。そしてその商いは、モノや値段を超えた信頼によって支えられていくでしょう 。
あなたの中にも、きっと語りたくなる物語があるはずです。
最初の一歩として、まずはその“思い出”を書き留めてみませんか?それは、他の誰でもない、あなたにしか語れない物語です。
そして、語ることで、お客様の中にも「わたしの物語」が生まれます。「この店は、子どもが初めて買い物をした場所」「ここでは自分の名前を覚えてもらった」――そんな風に、お客様にとっても“人生の一部”になれる商いは、何よりも強いのです。
“この商品が欲しい”ではなく、“この人から買いたい”。そのような関係を築ける商いが、これからますますお客様に選ばれる時代になっていくことでしょう。