小規模製造業のイノベーション-大田区の事例から-
2006/06/05
(財)大田区産業振興協会
専務理事 山田 伸顯
小規模製造業の存在価値
日本が1981年以来、一度も貿易赤字に陥ることなく国際収支が堅調に推移したのは、貿易黒字に伴う円高にもかかわらず、製造業が国際競争力を維持し続けたからである。中でも、輸出の約8割を占める機械類の生産構造の特殊性が、貿易黒字と輸出増加というパラドックスを成り立たせてきたのである。つまり、円高にシフトすれば、そのままでは輸出が減り輸入が増える傾向となる。にもかかわらず、引き続き輸出が増加するということは、円高を帳消しにするコストダウンを行ったことに原因がある。
これを可能にしたのは、取引関係において製品メーカーが絶対的優位性を活かして、下請企業からの部品調達を値切り続けたことが大きな要因と考えられる。もちろん、大手メーカーが優れた技術開発を進め、国内の製品を高付加価値のものに絞り込み、海外生産との分業を行っているなど、国際競争に耐えうる戦略を選択していることも影響している。
しかし、四半世紀にわたり貿易収支の黒字を続けたという世界に例を見ない日本の製造業の力は、中小製造業、特に底辺を構成する小規模企業が毎年のコストダウン要請に応え、かつより優れた技術を開発して短納期で部品を供給し、メーカーが組み立てるという生産構造から生み出されてきたことは明白である。世界で最高の技術を最低の価格で供給する小規模企業の血のにじむような努力に依存してきたにもかかわらず、その認識が大手メーカーには不足している。
このような状況が継続する中、下請中小製造業に疲弊感が漂ってきた。コストダウンだけでは、中国製品などの価格と勝負できないからだ。一般部品の量産は、無人化ラインを構築するなど特殊な方法をとらなければ、日本で担うことが困難となってきた。
かつて、日本の下請企業群が圧倒的多数存在することで、過当競争の下に置かれていた80年代前半までと異なり、83年以降2003年までに従業者規模4~9人の全国事業所数が約43%減少するという構造変化が起こった。この規模の事業所が下請の受け皿となり、さらに小規模の1~3人の事業所へ仕事を流してきた。1~3人の事業所の減少割合は37%に止まったが、数では約12万と最大の減少幅を示した(経済産業省「工業統計調査」)。こうして、下請取引体制を支えてきた製造業の底辺が縮小してきたのである。
また、団塊の世代の高齢化とともに、儲からなくなった下請企業を創業し、存続維持させる人口の厚みも失われてきた。製造業から第三次産業へシフトする動きが加速し、産業構造も大きく転換してきた。大手企業が生産の国内回帰を図ろうとしている現在、パートナーとなるべき小規模企業の存在価値を再認識しなければ、国内において先端開発に特化する戦略を採ろうとしても、サプライヤーであるはずの企業が離脱しかねない。
このような時代の変化に応じて、技術に習熟した小規模企業の中には、下請取引の限界を察知し、独自技術を研ぎ澄ませてイノベーションにチャレンジするものも現れてきた。
技術革新に挑戦する小企業
(有)後藤金型興業所は、社長の後藤孝と長男、次男の3人で営む典型的な小企業である。2004年度「大田区中小企業新製品・新技術コンクール」において、同社が考案した「エアゾール容器用ガス抜きキャップ(e-CAP)」が最優秀賞を受賞した。
2006年2月10日に経済産業省と環境省が同時発表したNews Releaseによれば、「エアゾール製品製造業者等においては、平成19年(2007年)4月を目途(もくと)に、エアゾール製品については中身排出機構の装着や小型化を推進する」ことに、業界側と市区町村側とで取り組むこととなった。充填物が残留したままゴミとして排出されることが要因の一つとなって、ゴミ収集車両の火災事故、破砕処理施設での爆発事故などを発生させてきたという経緯から、このような取り組みを行うに至ったと記載されている。
従来、不燃性のフロンガスを用いてきたエアゾール缶が、地球環境保護のためフロンに替わる可燃性ガスを使用したものに転換せざるを得なくなったため、事故が頻発するようになった。後藤は、ガス抜き機構を義務化しようという動きがあることを得意先である東京コヤマプラスチックから知らされ、この開発にチャレンジしてみようと決意した。
2002年から3年かけて、親子3人で試行錯誤を続けた結果、シンプルだが画期的な機構を生み出すことに成功したのである。エアゾール缶には大概キャップがついており、これは金型によるプラスチック成形で製作する。金型を工夫してキャップの上部の内側に突起を設け、使え終えたらそこを上から押し込むことで、突起が下がって元に戻らない機構とした。突起が下がった状態のキャップをかぶせ直すと、噴射部を押し続け、そのままガスが排出されるという構造である。
これまでのガス排出機構は、缶に釘状のもので直接穴を開けるか、噴射部のボタンをはずしてガス抜きをするなど手間がかかり、危険を伴うものであった。他のメーカーも新たな機構の開発に躍起になっているが、後藤が考案した機構は、排出時に中身が飛散しにくく、安全確実に操作できるため、主婦層に好感を持って受け止められている。1年後の適正処理を目途とした業界と市区町村の取り組みが、このe-CAPの採用を促すに違いない。このような社会的貢献度の高いプロダクトイノベーションが、たった3人の金型企業によって成し遂げられたということが驚きである。
1939年生まれの後藤は、中学卒業後、品川の金型企業に就職し、以来51年間たたき上げの金型工としての人生を歩んできた。受注仕事が基本となる金型職人の中で、後藤の生き方は少し他と違っていた。金型を開く機構にばねを用いて自動的に成形品を取り出せるようにした、いわば自動金型を考案したり、効率性が倍加する二面取り金型を提供したり、他にも調味料のキャップやソースのプルリングなど、プラスチック成形において様々な創意工夫を凝らした金型の設計製作を行ってきた。今回の開発は、金型という技術を熟知した技術・技能者にして初めて実現を可能にしたと見ることができる。「考える手」の存在というものを改めて感じるものである。
(有)米田金型製作所は、顧客から寄せられる無理難題を決して断らず、常に前向きにチャレンジしてきた結果、先端分野を手掛けるという目的を達している企業である。従業者数は、社長の米田英一とその妻、息子を含めて6人であり、社員年齢は10代、20代、30代、40代と順次技術継承ができる世代構成となっている。
社員の技能習得は、コンピューター制御の工作機械ではなく、まず汎用工作機械の操作を身につけることから始める方針を採っている。人間の感性を磨くことが何より大切と考えるからである。
現在主力の仕事となっているのは、携帯電話の液晶画面に光を誘導する導光板の製造である。導光板は、液晶パネルと重なった構造でセットされており、端部に組み込まれたLEDなどの発光源からの光を、液晶画面に垂直かつ均一に当たるように、反射ドットと呼ばれる突起を配置している。この凹凸部に光が照射することで、水平方向の光が垂直に反射される原理である。ポリカーボネート(プラスチックの一種)の素材に50~200ミクロン(1ミクロン=1,000分の1ミリ)の穴を200ミクロンピッチで成形することが金型に求められているが、配列も複雑で設計・製造は決して容易ではない。
この導光板を成形する金型の製作に威力を発揮しているのがレーザー加工機である。金属に対して微細な彫り込みを可能にし、薄板を成形する金型の表面をCAD(コンピューターによる設計データ)で直接、精密三次元加工を行うことができる。ナノテクを切り開く加工技術にとって有力な武器となる。
ただし、このレーザー加工機は、4,000万円と極めて高価である。展示会でドイツ製の本機に出会った米田は、しばらく身動きがとれなかった。これだと直感したが、当時1,000万円の不渡りの処理に追われていたため、購入を諦めかけていたところに、借金返済を支援してくれていた国民生活金融公庫から、再び資金提供を受けることができた。ソフト開発に1年半かかり、2年前に導入したレーザー加工機が本格稼働したのは、今から半年前である。
メーカーからは製品の仕様を示されるだけで、金型の設計・プログラム開発は社長の責任である。成形された導光板の評価は、ルクス(照度)と見た目の均一性が重視される。「目玉」と呼ばれる光の集合はご法度である。試作品がOKとなれば、埼玉県の提携工場に射出成形による量産を依頼する。
携帯電話については、91年の創業当時から外形の金型を手掛けてきた馴染みの仕事である。その当時チャレンジする企業はごく少数であったため、米田の挑戦者魂に火をつけたが、今や外形型の製作は通常の技術となった。そこで、最も難易度の高い導光板に取り組むことにしたのである。
同社のもう一つの特徴は、金型という量産を支える技術をコアにしながら、量産注文にも協力企業との連携で対処できる点にある。国内だけでなく、ベトナムやマレーシアの企業とも協力体制を構築しコストダウン要請に応えている。ピンチをチャンスに変えるには、小規模企業であってもグローバル化に対して積極的に向き合う姿勢が必要であり、同時に、国内においてコア技術を生み出すのに、日本ならではの熟達した技能と技術の研鑽が不可欠であることを知らされる事例である。
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(有)後藤金型興業所の「e-CAP」
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レーザー加工機を操作する(有)米田金型製作所の米田社長 |
知的財産権を盾にした経営戦略
小規模製造業の存続をかけた闘いはますます厳しさを増している。小さいがゆえに弱体であるとされてきたが、そうではなく時代の変化に即応できる存在であるという特徴を活かし、自分にない資源を他から得ることにより、効率的に生き抜く道を模索し始めている。
その有効な手段が知的財産戦略である。特許などの知的財産は、日本において大企業の専有分野と思われていたが、中小企業が下請企業の限界を打破する有力な方向性として重視するようになってきた。しかし、大企業や外国企業による侵害が頻発し、泣き寝入りするケースが多く見られることも事実である。
そこで、大田区産業振興協会では、三菱UFJ信託銀行と提携し、知的財産の信託事業を開設した。特許権等を確立した中小企業から、知的財産を管理受託し、侵害が発生した場合には信託銀行が自ら対処するという制度である。中小企業に対しての場合と異なり、専門の法律事務所を擁する信託銀行を相手に特許侵害するには覚悟がいるため、侵害抑止効果も期待できる。また、信託した知的財産を活用して、実施権を第三者に渡すことで実施料を獲得し収益を得ることも可能で、自社で使わない知財を活かす方法でもある。
このような手法を用いて、小規模製造業が知的財産を自社の重要な経営戦略とすることは、強みを発揮した生き残り方針として有効であると考える。なぜなら、最も技術に習熟し、現場からのイノベーションを遂行できるのは、小規模製造業だからである。これまで柔軟で決断力をもった小規模企業があって初めて、日本の産業システムの発展性が保たれてきた。産業の未来を切り開くことにこそ、小規模製造業の存在価値がある。
この原稿は「国民生活金融公庫 調査月報 小企業の今とこれから 2006年6月号 No.542」に掲載されました。
