中小企業におけるグローバル分業体制の構築
2006/07/11
(財)大田区産業振興協会
専務理事 山田 伸顯
はじめに
2006年4月現在、大田区に本社がある企業で、中国に何らかの拠点を設けているものは約80社であり、タイには約20社である (大田区産業振興協会の聴き取り調査結果より)。本格的な生産拠点から営業所まで業態は様々で、出資形態も独資、合弁などを 合わせた数である。その多くは中小企業であり、中国をはじめとする東アジアへの展開は徐々に拡大する傾向にある。
大田区の中小製造業は、量産よりもそれを支える技術の方を得意とする。試作、特注部品、金型など、多品種少量さらには単 品生産で納期の短い、その代わり付加価値の高いものを受注することに活路を見出している。最近では、特に微細加工など極めて 高度な技術が要求され、それに応える設備の保有や技術の蓄積を行えたかどうかで企業の受注獲得に差が生じている。加工企業の 中には、プロセスイノベーションにチャレンジし、独自な技術開発に成功するものも現れている。
これまで、どちらかというと内向きに、すなわち地域の産業集積ネットワークに依拠して存続してきた大田区の中小製造業が 、広域的な連携をさらに発展させ、グローバルな分業を志向するようになった背景と現状そして今後の展開について述べることに する。
1.21世紀に向けてのターニングポイント
失われた10年といわれる90年代から21世紀初頭の日本経済が低迷した時期には、日本の製造業の空洞化が進み、中小企業も大 きな転換を迫られた。それまでは、国内の生産財需要に迅速に対応できる加工基地として、重宝な存在であった大田区の機械工業 も、海外への生産シフトが進む中で、存在価値が問われるようになった。
97年をピークに縮小に転じた製造業を再生するには、これまでの量的拡大を求めるのでなく、質的充実に向かうしかない。な ぜなら、アジアの生産技術が向上することによって、日本国内における量産は、コスト面から全く不利であり競争にならなくなっ たからである。無論、人件費を掛けない、すなわち徹底した自動化を追求して中国に対抗できるコストで生産している企業もある が、例外的である。一般的には、顧客志向に徹し、設備の更新や材料の在庫保有により、スピードの要求に応えたり、無理難題を 断らず対応したりすることで企業の特色を打ち出した企業が、受注企業としては生き残っている。
しかし、国内の総受注量が頭打ちになる中、受注型企業の限界を見極め、固有の技術を活かして独自の製品や技術開発に重点 を置く企業が現われるようになった。
受注加工型中小企業の集積地である大田区においても、開発志向が高まっている。DLC(ダイヤモンド・ライク・カーボン )のコーティング技術を東工大と応用開発し、安全な食品容器などの生産設備を製作するなど、新製品のイノベーションに取り組 んでいる(株)ふくはうちテクノロジーや、従来の油圧継手の製造方法を画期的に転換し、エコロジーかつエコノミーな生産技術 開発に成功したトキワ精機(株)など、様々な挑戦事例がある(注1)。
大田区においてもそうであるように、日本全体の製造業のターニングポイントは、90年代末から21世紀初頭にかけてであった ように思われる。この間は、中国を中心としたアジアに、雪崩を打ったように生産拠点が移転した時期である。つまり、日本国内 においては、従来型の生産体制に行き詰まりが生じ、産業技術の大きな転換期に差しかかっていたところに東アジアの技術的台頭 の波が被さって、生産シフトを加速させたと考えられる。
この時に「座して待つ」態度に止まった企業は、未だ夜明け前の状況にあると見受けられる。しかし、「チーズは既に同じ場 所にない」ことを見切ったものは、試行錯誤しながらも現状脱却の道を探った。先に例示したようなイノベーション志向の企業以 外に、グローバル化と正面から向き合い、社内体制として国際分業を敷くことに成功した企業にも、やっと朝日が見えてきた様子 である。
大田区の企業の事例から、中小企業のグローバル分業の方向性を展望してみる。
2.中国展開を模索する中小企業
大田区は、1994年以来毎年、アジアで開催される展示会に、大田区の中小企業とともに共同出展する事業を続けてきた。今年 3月21日から中国上海で開催されたセミコンチャイナ2006に共同出展した際、上海市内に生産拠点を設けている大田区の企業を訪問 し、中国進出の状況を聴取した。
エレベータの巻上機や部品を製造する専業メーカーである(株)ケーエム社は、1934(昭和9)年に金子製作所として創業し 、1989年に販売部門を独立して設立したものである。70年以上の社歴を有する。1972年に建設した鴨川工場である(株)金子製作 所は、メカトロニクスを集約したテストタワーを設置し、技術開発の中枢となっている。蒲田にあるケーエム本社は、国内外の販 売及びアフターサービスを取り扱うとともに、金子製作所を含めたグループ全体を統括している。10年前から上海に工場を設置し 、現在では単独出資で巻上機製造、製缶、鋳造の3工場及び合弁で歯車製造の1工場を稼動させている。中国社員は鴨川工場で研修 して技術を磨き、高品質の製品を供給できる能力を身につけ、薄型ギアレス巻上機の現地生産も可能な体制となっている。中国に おける建設需要に伴い、エレベータ需要も拡大の一途を辿っている。もし日本に止まっていたならば、コスト的に見て、企業の存 続はありえなかったとケーエム社の幹部は述べている。
(株)明王化成は、インサート成形(金属とプラスチックを一体化した複合部品を作る工法)により、主に携帯電話やパソコ ン等電子機器のコネクターを製造している。特に、携帯電話のコネクターでは、回転する機構に対応した高機能の部品など、大半 のインサート成形品は同社が製造している。さらに高精度・高速製造の超高速の成形機を自社開発し、社内で使用するだけでなく 外販している。つまり、部品製造から金型、製造機械まで、顧客のニーズにすべて応えるトータルサプライヤーとして自社を位置 づけている。2002年に上海に工場を設け、インサート成形を中心とした精密プラスチック成形部品及び金型の生産を行っている。 優れた技術を有する外注先を確保し、金型部品をパーツに分解して発注している。組みつけ工程は外注先に任せず、上海の自社工 場で行う。これによりコストダウンを図りながら技術の流出を避けることができる。 2年前に訪問した時は、インサート成形機を 組み立てて外資のコネクター大手に納めていたが、現在では0.3mmピッチのコネクターを成形できる高度な金型を現地で作れるよう になり、本社への供給と中国及びアジアへの販路拡大を進めている。国内では昨年宮城県に2箇所目の東北工場を開設した。本社の 開発部門と合わせてグループ全体で120名体制となったが、それでもフル稼働しても間に合わないほどの受注増となっている。軸足 を日本に置きながら、上海に拠点を設置することで、アジア・ヨーロッパをにらんだグローバル展開が可能となった。グローバル 化による相乗作用が働いた事例である。
大裕工業(株)は、自動車用のゴム部品を製造する工程を移管するため1998年に上海工場を設置した。ゴム部品製造にはプラ スチック部品と違い、成形後に製品部分を剥がす作業に人手を要する。日本国内で行っていたのでは、コスト面で競争にならず、 撤退を余儀なくされていたであろう。同社の幹部は、「海外に出るか、辞めるか」の判断を求められたと述べている。ただし、品 質保証が不可欠な原材料は日本から輸入している。納品後数年してから欠陥が生じては命取りになるからである。上海工場は、 2003年にISO9001:2000の認証を取得、日本語が堪能な総経理の下、100名を超す従業員を統率して高品質の量産を行っている。販売 先は、日本への輸出が70%、中国内の日系企業に20%、その他アメリカ、フィリピン等である。日本本社は試作から金型製作まで を行い、金型を上海工場に移管し量産する体制でグローバル分業を図っている。本社では、さらにシリコーンゴムとプラスチック の一体成形を可能にする「選択接着性液状シリコーンゴム」などを開発しており、「ゴム・プラスチック加工のプロフェッショナ ル集団」という自負をもって製品開発に取り組んでいる。
このように大田区の中小企業の中には、中国への進出を果たすことで、日本における中枢機能との分担を図り、経営全体を発 展させる戦略を採っているものが現れている。日本国内にとどまって維持発展できる分野もあるが、中小企業がグローバル分業を 行うことでコスト低減による生産の継続や市場の拡大を狙うことも有効な選択となり得る。アジアにおける産業の棲み分けを視野 に置く必要があるということである。
ここで中国の状況変化の一つとして、上海市の新たな産業立地展開を紹介したい。
上海では、昨年12月に洋山深水港が開港した。上海市の南東地区と杭州湾沖合にある小洋山・大洋山とを32.5kmの東海大橋で結 び、そこに35のコンテナ埠頭を建設するもので、すでに小洋山に5の埠頭が完成している。揚子江に面した港は、常に土砂の堆積の ため浚渫しなければならず、大型の船舶の寄航ができなかったので、水深15m以上ある外洋の深水港が必要とされていた。この計画 が進行することによりいずれコンテナ取扱量が世界一になると予想されている。
洋山深水港と陸地側に建設が進んでいる上海臨港新城の計画を中心として、今後上海市は、産業立地の南下政策を推進すると 見られている。上海の北は揚子江で、東の浦東地区は開発が進み、西は蘇州まで工業団地が広がっている。そこで、南に位置する 奉賢区がこれからの重点開発地区となるということで、奉賢区は東京に駐日事務所を設けて日本企業の誘致を積極的に進めている 。ちなみに、先述した大裕工業上海工場は、現在地から奉賢区の工業団地に移転することになっている。
|
|
|
ケーエム社中国工場での巻上機製造 |
海山国際深水港コンテナ埠頭 |
3.タイにおける集合工場の建設
自力で海外展開を推進する企業がある一方、現地に生産拠点を設けるにはハードルが高いと感じるものも少なくない。そこで 、大田区産業振興協会は、日本の自治体の産業政策を遂行する支援機関でありながら、積極的にタイの工業団地を運営する企業と 連携し、団地内に大田区の中小企業が進出しやすい集合工場を計画した。今年6月、第1期計画の建物が竣工し、同月26日に開所式 が行われたところである。
なぜタイを選択したのか。タイはアジア通貨危機を引き起こしたバーツ急落により、それまで外資受け入れにより輸入主導型 で無理に経済成長させてきた仕組みが行き詰まり、輸出主導型に切り替えざるを得なくなっていた。そこで、自動車を中心とする 技術を高度化し、輸出に耐え得るような品質レベルに引き上げることに成功した。特に日本のメーカーが集中的に技術導入した1ト ン車のピックアップトラックは、アセアンのみならず世界へ輸出する体制を構築した。1998年以降タイは、慢性的な貿易赤字国か ら黒字国に転換した。IMFの借款を早期に返済するなど、2000年以降の経済情勢は極めて好調である(注2)。
国内の産業インフラも次第に整備され、渋滞で有名なバンコク市内は、モノレールと地下鉄が設置されたり高速道路網へのア クセスが短縮されたりしたため、交通状況がかつてに比べ格段に改善された。発電設備などの産業基盤が整った工業団地は数多く 建設され、外国メーカーの進出が顕著である。中でも日本の製造業は、先端的な生産技術を含めタイへの移植を進めている。タイ における対内投資額の約40%を日本が占めることにも現われているように、タイにとって日本の企業は、重要な地位にあると同時 に、日本のメーカーにとってもタイは国内の延長上にある生産拠点として位置づけられる。タイは、アセアンの中では政治的に安 定しており、親日的で、勤勉で忠誠心も高いと考えられているため、安心して技術を移転できると判断されている。
例えば、放電加工機をはじめとした高精度工作機械メーカーである(株)ソディックは、1988年にソディックタイランド社を 設立、タイにおける本格的な生産体制構築に着手した。タイのナワナコン工業団地にある工場では、機械の接触する摺動面を仕上 げるため、熟練を要する“きさげ工”を養成し、製造の最終工程を担わせている。熟練工として定着できるのは、帰属意識のある タイ人ならではのことである。現在、この工場で同社の放電加工機の真髄というべきリニアモーターを製造している。中国の生産 拠点となっている1994年に稼動した蘇州市の工場には、タイからリニアモーターを輸出するという国際分業体制をとっている。そ して、日本国内においては先端的技術開発に集中し、ハイスピードミーリングセンターやナノ加工機を生み出しているのである。
ソディック社のように、タイに重要な生産技術の移管を進めているメーカーは多い。タイはまた、各国とのFTA(自由貿易協 定)締結に熱心に取り組んでおり、タイを生産拠点にすることは、関税の自由化のメリットを享受し、世界へ向けて輸出基地とし ての優位性を確保できることになる。今後、生産移転先であるタイの重要性がますます高まると考えられる。
このような状況にあるタイにおいて、バンコクの南東に位置する「アマタナコン工業団地」内に、工業団地開発会社のアマタ コーポレーション社が大田区中小企業向け集合工場「OTA TECHNO PARK」を建設している。大田区産業振興協会は、タイに顧客を持 ち現地に分工場の設置を検討している区内企業に呼びかけている。 「アマタナコン工業団地」は、最終予定敷地面積が68k㎡にも及ぶタイ最大の工業団地で、工業団地全体の入居企業数は世界各国 から380社にのぼり、うち7割が日系企業である。今年開港する予定の新バンコク国際空港(スワンナプーム空港)から車で約40分、 バンコク市内からもおよそ1時間30分の距離にある。
第一期計画の集合工場の概況は以下のとおりである。
約7800㎡の敷地面積に、工場棟面積2560㎡、事務所等の延床面積526㎡の建築計画である。賃貸方式で、1ユニットを320㎡か ら設定。全部で8ユニット。1ユニット、2ユニット、3ユニット、4ユニットの4段階で拡大可能とした。タイ国内の賃貸工場の平均 的な床面積は1000㎡だが、サポーティングインダストリーの分野にある大田区中小企業が初めて進出するには広過ぎるため、中小 企業の操業に適した床面積を要求した結果である。
テナント料金は、床面積が小さい工場は平米単価が高いのが普通であるが、国内最低の料金(1㎡約600円)に設定した。
また、ソフト面の支援サービスを考案した。それは、タイ国内で操業するための総務面を完全サポートするシステムである。 中小企業が海外進出する際に、最も苦手で苦労するのが、税務処理を含めた総務面の事務である。そこで入居企業のために常駐ス タッフを配置し、BOI(タイ投資委員会)の手続き、法人登記等進出のための書類作成、税務や労務等のすべての総務面を支援でき る体制を整備した。
この計画は、2005年7月に大田区産業振興協会とアマタコーポレーション社が、相互の事業展開の理念と方向性を確認し、産 業協力推進の覚書に調印したことから、一気に実現に至ったものである。アマタ側は、工業技術を下支えするサポーティングイン ダストリーがタイの産業発展に不可欠であることを認識し、その象徴的な地域である大田区のモノづくりブランドを高く評価した 。中小企業の有する基盤的技術が工業団地に形成されることにより、さらに多くのメーカーの誘致が推進できるという狙いがある 。したがって、集合工場については当面の採算面を度外視している。大田区としては、日本国内に止まっていては発展に限界を感 じている区内の中小企業であっても、単独では海外の生産拠点形成が困難なケースに対し、スムースに一歩踏み出せる橋渡しにな ると期待した。また、区内企業はタイに分工場を設立することで、国内では系列などの制約から取引のなかった企業との新たな関 係を結ぶ可能性も生じてくる。しかも、大田区側は集合工場建設に経費負担をしていない。グローバル展開の仲介に徹した格好で ある。
このプロジェクトは、区内の中小企業に大きな反響をもたらし、現地見学に参加した企業のうち8社が入居の申込を行った。 そのため、第二期計画を前倒しで実施することとし、6月に2番目の工場棟建設工事に着手した。最終的に第四期計画まで進む予定 である。大田区以外の地域の中小企業にも呼びかけることもあり得ると考えている。
日本の中小企業が、タイをはじめとするアジアに生産拠点を有することで、コストダウンによる効率経営を実現し、その余力 資源を国内における技術開発に振り向けるというグローバル分業体制を構築することができれば、自社の経営戦略をより高度な次 元に引き上げるだけでなく、アジアとの技術的連携を一層深化させ、ウィンウィンの関係をもって共生の道を歩むことが展望できるのである。
TECHNO PARK計画図
(注1) 山田伸顯「連携コーディネート組織を目指して」(日本商工経済研究所『商工ジャーナル 2005年6月号』)
(注2) 山田伸顯「ローカルブランドからグローバルブランドへ」(新評論『地域ブランドと産業振興』2006年5月)
山田伸顯「タイに展開する中小金型企業の戦略」(『財団法人素形材センター 素形材Vol.45 3月号』2005年3月)
この原稿は月刊「地域開発 2006.7月特集号(財)日本地域開発センター」に掲載されました。
