メニューを飛ばして本文へ

アジア諸国の産業発展と中小企業

2008/11/03

(財)大田区産業振興協会
専務理事 山田 伸顯

 部品製造力を向上させたアジア諸国は、これまで圧倒的に優位であった日本の産業を揺るがすまでになった。しかし、日本は基盤技術力によって競争力を維持し、大企業だけでなく中小企業も、アジアと連携するグローバル分業体制を構築することにより、国内においては先端技術開発へ特化するような経営を志向している。
 大田区の中小企業も、タイ・バンコク郊外の工業団地において設置された集合工場に入居するなど、拠点を形成しつつある。このことは、大田区の産業にとっては拡張戦略の追求、タイ企業にとっては基盤技術のボトルネック解消という双方のウィン・ウィン関係を成立させている。
 今後、日本において産業が取る方向はどうあるべきか。

この論文は、2008年8月2~3日に開催された国際コンファレンス「5th SMEs in a GLOBAL ECONOMY CONFERENCE 2008-SMEs and Industrial Development in Asian Countries - アジア諸国の産業発展と中小企業」(主催:専修大学社会知性開発研究センター 中小企業研究センター、共催:オーストラリア・ウーロンゴン大学、マレーシア・マラ工科大学)での講演原稿です。


 

はじめに

財団法人大田区産業振興協会専務理事の山田です。 
 大田区という町には羽田空港があります。2010年10月には国際ターミナルが完成し、これまでより数多くのアジア各地の空港と就航する予定です。
 大田区は、機械工業の集積した地域で、かつて日本最大の京浜工業地帯の一角を占めています。今では、東京と川崎、横浜から工場が移転し、地域としての生産力は低下しましたが、先端的な技術開発のための研究機能が集中し、それを支える基盤技術が維持されており、新たな産業を生み出す母体となっています。
 今後、アジアとの直接的な人的交流が盛んになることによって、技術交流が活発になり、アジアと日本の産業の相互発展につながることを期待しています。大田区は地理的ロケーションと産業の交流推進においても、アジアと日本全国とをつなげる結節点となりえるでしょう。

1.アジアの生産連携の深まり

 東西冷戦の終結から全世界が市場経済に解き放たれ、政治と経済は急速にグローバル化の変貌を遂げてきました。85年のプラザ合意以降円高が進み、日本からもアジアへ生産拠点をシフトする動きが活発になりました。90年代以降、先進国が特に中国に対して直接投資を加速的に増強し、中国は21世紀にかけて世界の工場として飛躍するようになりました。

 80年代までのアジアへの生産移転は、アッセンブリー(組立)工程の移管が主なもので、人件費の安い途上国の大量な労働力を求めて生産拠点を設けるという企業が多かったのです。当初は、台湾、韓国、香港、シンガポールなどに生産移管しましたが、これらNIES諸国の経済水準が上がりコスト高になると、次にASEAN諸国や中国に拠点を移転していったのです。大企業の海外生産移転の有様が、次々に労働コストの低いところに動くところから、「渡り鳥」と評されました。生産拠点を誘致した国にとって、工業生産力を高めたいと考えていても、自国の技術力が向上しないため、いつまた他に移転されてしまうかわからないというリスクを抱えていたのです。

 90年代の後半から、これまでの生産シフトと異なる状況が生まれてきました。つまり、他から輸入した部品を組み立てて製品を作るという技術だけでなく、部品そのものを製作するという技術を獲得していったのです。

 これは、工作機械により金属を加工する技術が向上したからです。熟練を要するこの機械加工技術を急速に向上させた原因は、IT革命です。

 従来は、何年も訓練した技能工が旋盤などを操作したのですが、今では、コンピュータ制御の工作機械(NC機械やマシニングセンターという複合工作機械)が、プログラムによってデータ化された図面どおりに金属を削ったり穴を開けたりするようになっています。図面のデータ化をCADと呼び、それに沿った指示で機械を自動的に作動させるソフトウェアをCAMと言います。これまでとは異なる機械を作動させる技術が進展したため、熟練工を育成していないアジア諸国でも、いち早くコンピュータ制御の工作機械を導入することにより、短期間で機械加工技術のキャッチアップが可能となったのです。

 貿易の推移を通して、国際収支の面から見てみましょう。 日本は、1970年代から貿易の黒字基調になりましたが、81年からは2007年に至るまで一度も貿易赤字に陥ることなく、黒字を維持するばかりか拡大させてきました(pp3)。輸出の主力製品は機械類で、輸出総額の約77%を占めています。日本の輸出は、機械金属製品の伸びに牽引されて急速に増大してきたのです。

 機械産業は、これまでにも述べてきましたように、膨大な構成部品によって成り立っています。これを生産しているのが中小企業であり、中小企業の優れた技術によって低コストの精密部品が供給されてきたために、強い国際競争力を維持してきたのです。

 ところが、80年代から90年代にかけて、アジア諸国が部品生産力を向上したことで、これまで圧倒的に優位であった日本の中小企業の部品生産力を揺るがすことになりました。それまでは、一般の量産部品を含めて多くの資材が日本の中小企業から供給され、組立をアジアで行うという垂直的な分業体制が取られてきました。ノックダウン方式という日本で生産された製品の主要部品を輸入して、現地で組立、販売する方式が海外生産の主流であったのです。この段階では、日本国内の中小企業から部品を調達するという取引関係に変化はなく、アジアにおける組み立て生産が拡大するに伴い、むしろ部品生産を増大することができたのです。

 しかし、アジアにおいて製品を構成する部品そのものを生産し、供給する技術力が身に付くということになると、状況は全く変わってきます。

 先ず、組立メーカーに部品を供給している日本のサプライヤーが現地に進出し、自動車部品など大量生産を開始しました。そのために、プレス機やプラスチックの成型機を持ち込み、部品を製造するのに必要な金型を日本で製作して輸出し、場合によっては素材も外から供給することにより、現地生産を開始しました。日本の技術者を派遣し、現地の就業者を訓練することで、部品の量産技術が向上しました。そうした技術は次第に現地の企業にも伝搬し、生産技術の定着が進められました。

 こうしてアジアに部品供給工場の移転が増大しました。 

その多くは日本国内で地方に移転した工場であったため、地方の経済的影響が深刻となりました。

 それでもまだ、都市部に集積する基盤技術を担っている中小企業にまで、取引縮小という影響は強くは及びませんでした。それは量産技術の移転に止まっていたからです。つまり、量産技術を支える金型の製作や、開発に伴う試作、あるいは特殊部品の供給には、切削、研削、メッキや熱処理など様々な加工技術が必要であり、そのためにはワーカーの熟練が不可欠であったから、容易には海外への技術移転が進まなかったのです。

 90年代後半に起こったグローバル化とIT化の同時進行は、この基盤技術の海外移転を促進し、日本の最も力のある技術の根幹を揺るがしたのです。このため、それまで域内から地方へと工場移転が拡大し、急速に工業集積を縮小したにも関わらず、微細・超精密などの技術を極めて生き残りを図ってきた大田区の中小製造業にとっても、これまでにない危機的状況となったのです。大田区のみならず、基盤技術が集積した日本各地の状況は似たり寄ったりでした。

 なお、最近まで、中国を中心に現地法人を伸ばしていましたが、今年になって中国では、外資優遇策を撤廃し労働者の保護を強化する労働契約法を施行したので、今後どう推移するのか注目されます。

 アジアへの生産シフトが拡大した今日においても、日本の国際競争力は維持されています。2006年における貿易収支は、約630億ドルの黒字であり、先ほど述べたように輸出高合計約6,470億ドルのうち機械金属計が76.4%を占めています。 

 部品の製造技術が移転しているにもかかわらず、何が日本の製造業の国際競争力を保っているのかというと、中小製造業の中でも町工場と呼ばれる小企業が有する基盤技術力です。コンピュータ制御の工作機械に設計図をデータにしてインプットすれば、大多数の部品が製造されるようになってきましたが、企画設計の創造力、データ化するノウハウ、素材に対する知見、加工技術と熟練技能の違いなど、アジアのどの国の技術と比較しても数年では追いつかれないだけの蓄積が日本にあります。しかし、不断の努力がなければ、日本の優位性は保てません。

 ここで、日本と東アジア及びオーストラリアとの貿易の推移を見てみましょう。

 日本は、これまで対USAとの貿易一辺倒で経済成長を続けてきました。しかし、中国との貿易が急速に伸び、2002年に輸入で対米を抜き、2007年には香港と合わせた対中輸出が対米を抜くという結果になりました。1999年と2006年を対比すると、対全世界では輸出が1.56倍、輸入が1.87倍ですが、対米輸出は1.14倍、輸入が1.02倍と世界との伸びに達していません。しかし対東アジアでは輸出が1.98倍、輸入が2.06倍です。対中国では輸出が3.98倍、輸入が2.76倍、対タイでは輸出が2.03倍、輸入が1.91倍。しかし対マレーシアでは輸出が1.19倍、輸入が1.42倍と伸びが良くありません。対ベトナムでは輸出が2.53倍、輸入が2.70倍、対オーストラリアでは輸出が1.49倍、輸入が2.19倍となっています。このように、貿易において対米依存から脱却せざるを得ない動向を示しています。それに対してますます広域的なアジアとの関係が深まっていると考えます。

 東アジア貿易の特色について考えてみます。  

ブロック経済圏の域内貿易において、EUは貿易総額が大きいが、最終製品の貿易比率が伸びる割に、中間財貿易の伸びは小さい。NAFTAは貿易総額も小さく、EU同様、最終製品の貿易比率が伸びる割に、中間財貿易の伸びは小さい。それに対して、東アジア貿易では素材貿易が比率を大きく下げ、それに代わり中間財貿易が大きく伸びているという特色が挙げられます。日本を含め部品の相互の取引が活発で、国際分業体制が機能していることが分かります。

 すなわち、それぞれの国・地域が得意とする部品製作と加工を分担し、「域内貿易比率を高めながら、域外に対して一貫して輸出超過」という状況を作り出していました。「東アジアの貿易の特徴は、モジュール化が進展し輸送費が比較的少額な電気機械製品を中心に、域内各国・地域がそれぞれの比較優位に基づく国際分業を展開して、中間財を多様な地域で生産し相互供給しながら最終財に組み立て域外に輸出するという「世界の工場」としての役割を担っている生産ネットワークが生み出す貿易」であり、「東アジアではEUやNAFTAに比べて産業レベルよりもさらにきめ細かい工程レベルで有機的に結びつき相互に深く根を張り合いながら域内各国経済が一体化していることがうかがえる。」と通商白書が論じています。

2.大田区の中小企業

 大田区の機械工業の集積は全国的に有名ですが、生産現場である工場の減少が一貫して続いています。地価が高く、工場に利用できる用地も少ないため地方に工場を移転したり、海外に生産拠点を移したりしているからです。本社と開発部門、営業拠点を残すケースが多いのです。地方の工場を通じて他から受注し、難しい仕事はそれを本社に戻して対応するといったやり方もするので、大田区が外に拡張していると見ることもできます。しかし、地域内の生産機能が衰退していることは確かです。

 最も工場数が多かった時は、1983年に9190工場ありました。2005年には4778工場に減ってしまいました。従業者規模3人以下の工場が全体の50%を占めています。10人未満の工場が80%以上ある小企業の集積地です。ですから、単独の企業では部品一つできないため、ネットワークで様々な注文に応じているのです。

 機械金属系の業種で70%以上あります。中でも、一般機械という、各種産業機械や工作機械とその部品、金型など産業の基礎となる製造分野において、特に高いウェイトを占めています。かつては「機械の大田」と言われました。

 小松ばね工業は、昨年天皇陛下が行幸されたことで有名になりました。  

 ばねは、機械に金属線をセットすれば自動的に製造できるように見えますが、実は金属の特性を知りぬいた技術者が、どの金属とどの金属を合わせれば要求通りのばねができるという合金製造のノウハウが必要です。大きさ、形状、強度などさまざまな視点から用途に最適なスプリングを検討し製作に当たります。自社にて冶工具類、金型の製作をするため高精度の品質維持ができることを売り物にしています。ばね1個といえども、「精密製品の心臓部を形成する大切な部品の一つ」という発想のもとに技術開発に取り組んでいるのです。

 PCキーボード、ブレーカー、携帯電話、胃カメラのグラスファイバー補強ばねなどの医療機器、基盤の検査針など各種センサー、その他時計、カメラ等々、数え切れないほどの用途に使われています。髪の毛にしか見えない細い線が渦を巻いたばねになっているほど微細な技術です。

 北嶋絞製作所は、熟練技能者による腕の技術で様々なものを作り上げています。  

以前打ち上げられたH2ロケットに搭載された、補助ロケットの先端部分を製作したことで有名になりました。

 一枚の円盤から、溶接することなく航空機の燃料タンクの部品が作られたり、大きなパラボラアンテナが3人がかりで作り上げられたりしています。小泉さんも首相時代に同社を訪問し、ワインクーラーを作ってご満悦でした。有楽町マリオンにある「からくり時計」の枠や大田区役所内の鈴のモニュメントもこの技法で作ったのです。この技術はアナログです。

 一方、デジタルを徹底した技術もあります。新妻精機は、試作しかやりません。  

大手の電子機器メーカーを始め様々な企業から注文が殺到していますが、そうした開発に関わる試作の依頼に迅速に応える企業としての地位を確立してきました。OA・電子機器、自動車、航空機そして医療機器など顧客の分野は多岐にわたります。旋盤を中心とする機械加工工場からスタートしましたが、創業者である新妻清和社長は、景気と親企業の意向に左右される下請け企業の限界を感じ、1975年に試作という分野に着目し業態を転換させました。

 同社の強みは数値制御による機械加工技術に優れ、材料も樹脂、金属、新素材など幅広く取り扱うことに慣れており、精密板金加工、表面処理、熱処理、組立てまで一括ユニットで対応できることにあります。つまり、現場での製造工程を熟知した技術者がIT能力を身に付けているため、試作・開発製品の製作という技術の総合性を必要とする領域を担えるということです。また、技術者が営業スタッフになって顧客に当たるため、時間の無駄をかけずスピードのある対応を可能にしています。製品のライフサイクルが短くなり開発期間の短縮化が求められる今日、スピードこそが勝敗の分かれ目になっています。最新の工作機械設備にこだわり、ITに徹し一貫性のある加工システムを構築しつづける新妻精機の経営方針は、この時代の要請に応えるものです。

 大田区の企業は、試作品などの一品物、多品種少量生産を得意とし、単なる量産物を手がけるところは少なくなっています。量産型工場は、地方移転したか、海外に展開しています。しかし、量産を成り立たせるためには、それを支える技術が必要であり、いわゆるサポーティングインダストリー(支持産業、すそ野産業)が近年注目されるようになりました。時代の先端的産業を担う特殊技術は次々に変化し、生産分野の中間技術も大きく変遷を遂げます。しかし、底辺をなす技術は、徐々に進化しながらも、それらの技術に対し下支えする役割を持っています。したがって、この基礎的技術は、産業技術全般の発展に不可欠であり、これが不十分であると、その国の産業の自立的発展が困難です。この技術のことを基盤技術と呼びます。

 サポーティングインダストリーは、基盤技術を広く捉え、部品産業等の生産技術を含めて位置付けています。タイやマレーシアでは経済成長の過程で、サポーティングインダストリーの必要性に気づき、様々な金融及び税制上の優遇策を施して、誘致、育成を図ろうとしてきました。日本への働きかけも熱心で、大田区の企業に対しても数多くのアプローチが行われました。

 日本では政策として基盤技術の維持を打ち出したのは、1996年の「特定産業集積地域活性化法」の制定によってです。日本の産業が国際競争において圧倒的に優位であるのは、この基盤技術がしっかりしており、機械産業がコスト面、技術面で他の先進国を凌駕していたからです。戦後日本の貿易収支を輸出で支えたのは機械産業です。このことが出超による貿易黒字をもたらし続け、今日の円高基調の根底をなしています。

 しかし、現在この基盤技術は揺らいでいます。第一には基盤技術は、習得に時間と根気を要する熟練技能と表裏一体のものですが、苦労して技能を受け継ごうとする若者が少なくなっていること、第二には韓国、台湾の技術力の高度化や中国、アセアンをはじめとする途上国の技術の追い上げが、従前の基盤技術の優位性を突き崩す懸念を生んでいます。基盤技術の集積地は東大阪市や大田区など、全国に分散していますがそれぞれに特色のある機械金属製造業の集積を持っており、より広い地域からの技術的ニーズに応えてきました。これらの集積地を「特定産業集積地域活性化法」の活性化支援地域として指定し、国からもハード・ソフト両面について助成事業等の支援を行う体制を取りました。国として危機意識を表明したわけです。

 時限立法である地域活性化法が、基盤技術を日本の重要なものと位置づけ、集積地域を保全する役割を果たしてきましたが、今日では、企業のネットワークが拡大し、必ずしも特定地域に止まって活動するわけでなくなりました。そこで、広域的な企業連携を活かし、基盤技術の一層のイノベーションを促すために、2006年には「中小企業ものづくり高度化法」を制定・施行しました。

 これからは、日本の新産業創造戦略で、これに示した燃料電池や情報家電、そしてロボットやコンテンツ産業などの先端技術を発展させることが重要だとしていますが、それが可能なのは、日本ではこれを構成する部品・素材、装置、センサー、ソフトウェアなどが優れたものがつくられているからです。しかし、さらに深く考えてみると、これらは鋳造・鍛造、プレス、切削、金型、表面処理、熱処理などの基盤技術がしっかりしているからだということが分かります。これらの技術は日本の町工場と言われる中小企業が担っています。この法律の趣旨は、こうした基盤技術が日本の国際競争力を維持してきたが、今日途上国の追い上げにあい、優位性が危うくなってきている。そこで、基盤技術のイノベーションを推進し、再構築することにより、国際競争力の堅持と先端産業を担い生み出す原動力にしようという意図があるのです。

 基盤技術のまち、大田区でもこの技術革新にチャレンジしています。

3.タイにおける生産拠点の形成支援

 日本のモノづくりの強みを生かしつつ、アジアと連携することで供給コストの削減と市場開拓に向かう。こうした経営戦略は大企業だけでなく、中小企業も積極的に採用するようになってきました。グローバル分業体制を構築することにより、日本においては先端技術開発に集中できるように志向しているのです。アジアとの棲み分けの確立とネットワークの形成です。この結果、社内の体制づくりはもとより、国内のメーカーとの新たな関係づくりが、海外での取引を契機として出来上がってきました。

1)OTA TECHNO PARKの開設
 2006年6月26日、タイのバンコク郊外にある「アマタナコン工業団地」において、「OTA TECHNO PARK」のオープニングセレモニーが行われました。このプロジェクトは極めて小規模なものであるにもかかわらず、大田区長が現地に赴き、タイ国の副首相兼工業大臣及び駐タイの日本大使が祝辞を述べるという力の入った式典となりました。
 「アマタナコン工業団地」は、バンコクから高速道路で1時間、開港を間近に控えたスワンナプーム空港からは車で約40分の距離に位置し、全計画面積約68平方キロメートルという巨大なインダストリーパークです。その中にあって、「OTA TECHNO PARK」は、わずか約2ヘクタールの小さな敷地に中小企業向け集合工場を建設する計画です。第一期計画では、約7,800㎡(5rai)の敷地面積に、8戸の連棟式工場(1戸当たり320㎡、総延床面積2,560㎡)と、工場全体の日常の管理に当たる事務棟を建設しました。最終的には、第四期計画まで施工実施する予定です。工業団地を管理するアマタコーポレーションが所有し、直接入居企業に賃貸する方式を取っています。
 タイ国内の賃貸工場の平均的な床面積は1000㎡ですが、サポーティングインダストリーの分野にある大田区中小企業がはじめて進出するには広過ぎるため、中小企業の操業に適した床面積を要求した結果です。テナント料金は、床面積が小さい工場は平米単価が高いのが普通ですが、国内最低の料金(1㎡約600円)に設定しました。
 また、ソフト面の支援サービスを考案しました。それは、タイ国内で操業するための総務面を完全サポートするシステムです。中小企業が海外進出する際に、最も苦手で苦労するのが、税務処理を含めた総務面の事務です。そこで入居企業のために常駐スタッフを配置し、BOI(タイ投資委員会)の手続き、法人登記等進出のための書類作成、税務や労務等の全ての総務面を支援できる体制を整備しました。

2)ウィンウィン関係
 大田区としては、日本国内に止まっていては発展に限界を感じている区内の中小企業であっても、単独では海外の生産拠点形成が困難なケースに対し、スムースに一歩踏み出せる橋渡しになると期待しました。また、区内企業はタイに分工場を設立することで、コストダウンを図ることで従来の顧客との関係をさらに深めことができます。さらに、国内では系列などの制約から取引のなかった顧客(大手企業を含め)との新たな関係を結ぶ可能性も生じてきます。生産の合理化とあわせて市場拡大に寄与することを期待できます。
 しかも、大田区側は集合工場建設に経費負担をしていない。グローバル展開の仲介に徹した格好です。進出の当たっては、大田区に本拠地を置き続けることを条件としています。つまり、大田区にとっては、このプロジェクトは大田区産業の拡張戦略です。国内の受注量の増大が望めない現況において、成長著しいアジアの生産拠点に着目し、現地に進出した製造業に大田区の中小企業が有する高度な機械加工技術を直接供与することが、有効な戦略となってきたのです。
 タイ側にとっては、工業団地を整備し、国外から自動車、電気・電子機器等の主たるメーカーの生産拠点を誘致することで産業の高度化を進めてきましたが、メーカーに供給する部品産業や、そうした産業全体を下支えするサポーティングインダストリー(製造・加工における基盤技術)が脆弱で、それらの集積を強化する必要があると考えました。そうしないと、自動車産業を中心としたタイ製造業にとってボトルネックとなると危惧されています(注2)。その基盤技術を有するのが日本であり、特にその象徴的な地域である大田区のモノづくりブランドを高く評価しました。中小企業の有する基盤的技術が工業団地に形成されることにより、さらに多くのメーカーの誘致が推進できるという狙いがあります。したがって、集合工場については当面の採算面を度外視しています。
 アマタナコン工業団地には、約400社の外国企業が集まっているが、そのうち7割が日系企業であることも、技術を供与する日本の中小企業にとって、また、日系企業の維持拡大を求めるアマタ社にとっても拠点形成のメリットは大きいと考えます。双方のウィンウィン関係を求めての結果です。
 既に4年前に、大田区に本社のある、油圧シリンダのメーカーである㈱南武がアマタナコン工業団地内の建物を借りて進出していたのですが、「OTA TECHNO PARK」のオープンに合わせ、第1号の入居企業となりました。こうして、大田区のアジアネットワーク展開事業がスタートしたのです。
 昨年11月に大田区の中小企業のミッション団をタイとベトナムに派遣しました。地域としてもグローバル展開についての理解を深める必要があると考え、若手のメンバーを中心に現地の視察を行いました。
 また、タイのバンコクで開催される「タイメタレックス」に、毎年大田区の中小企業をまとめて共同出展を行っています。海外の共同出展事業は、中国と合わせて年3回ほど続けています。このときも開催されていましたので、ミッション団も視察しました。

3)タイの発展可能性
 なぜタイを選択したのかと問われます。タイはアジア通貨危機を引き起こしたバーツ急落により、それまで外資受け入れにより輸入主導型で無理に経済成長させてきた仕組みが行き詰まり、輸出主導型に切り替えざるを得なくなっていました。そこで、自動車を中心とする技術を高度化し、輸出に耐え得るような品質レベルに引き上げることに成功しました。特に日本のメーカーが集中的に技術導入した1トン車のピックアップトラックは、アセアンのみならず世界へ輸出する体制を構築しました。1998年以降タイは、慢性的な貿易赤字国から黒字国に転換しました。 IMFの借款を早期に返済するなど、2000年以降の経済情勢は極めて好調です。
 国内の産業インフラも次第に整備され、渋滞で有名なバンコク市内は、モノレールと地下鉄の設置や高速道路網へのアクセス改善により、交通状況がかつてに比べ格段に良好となってきました。発電設備などの産業基盤が整った工業団地は数多く建設され、外国メーカーの進出が顕著です。中でも日本の製造業は、先端的な生産技術を含めタイへの移植を進めています。タイにおける対内投資額の40%以上を日本が占めることにも現われているように、タイにとって日本の企業は、重要な地位にあると同時に、日本のメーカーにとってもタイは国内の延長上にある生産拠点として位置づけられます。タイは、アセアンの中では政治的に安定しており、親日的で、勤勉で忠誠心も高いと考えられているため、安心して技術を移転できると判断されています。

 大田区から比較的早くタイに進出した企業を紹介します。日進精機株式会社です。

 大田区を代表する金型の開発メーカーである日進精機は、1957年に精密プレス金型の専門メーカーとして設立され、1969年には長野県飯田工場での操業を開始しました。プレス加工とともに金型生産を拡充するため、中小企業としてはかなり早くから地方の拠点を設置したのです。

 同社は、順送金型と呼ばれる一つの金型のなかに複数の工程を工程順に組み込んだものを得意としています。1台のプレス機で順送りに金属板を立体形状に成形できる効率的な金型ですが、複雑な形状で、高度な金型設計と熟練技術を必要とします。

 自社の独自技術開発を追求し、日本国内での金型メーカーの地位を確立してきた日進精機でしたが、バブル経済崩壊後国内の金型需要の低迷を直視し、グローバル展開の必要性を認識したのです。94年にはタイのコラート(正式名称はナコン・ラチェシマシマ)に、地元の精密部品メーカーであるP.C.S.Machine社と合弁により現地工場を設立しました。

実は、同じ年にマレーシアのマハティール首相が来日した際、金型企業にコンタクトしたいという要請が大田区にあり、たまたま私が日進精機の当時の太刀川社長を紹介しました。これをきっかけに、マハティール首相から熱心に資本提携の話を受けたのですが、タイへの進出が先行していたため断った経緯があります。マハティール首相は、同社の本社を訪れ、主力製品の一つであるリフレクター製造用の金型に関心を示し、日本の技術レベルの高さを再評価したのです。

タイで生産を開始してからまもなく、1997年にタイバーツが急落したことを端緒にアジア通貨危機が始まりました。このときタイの国内需要が冷え込みましたが、輸出できるだけの技術をもった部品製作を行っていたため、通貨の下落は輸出の増加を促し、利益をもたらしたのです。

 その後、日進精機はフィリピンに単独の資本で工場を設置し、中国の無錫にも中国の企業との合弁により工場進出を図りました。

タイの工場は、90年代にはプレス加工に特化していましたが、2004年から金型製作を開始し、2007年時点では高精密の金型をつくれるレベルに達しました。07年現在、6名の設計要員をCAD研修で育成し、工場を拡張して金型製造部を設置しました。月に順送金型を5型平均で製作できるまでになりました。売上の構成は、プレスがおよそ70%で金型が30%です。顧客は、CKD(自動機械装置大手)、JVC、FDK(富士通電池、電子部品)、スタンレー、日本電産など電気・電子から自動車その他の分野まで幅広く取引を行っています。製造品目は、モーターの部品やケース、パソコン関連部品、車載部品など、様々な注文に応じています。タイに生産拠点を設けたことで、タイに進出している顧客の拡大が有利となったと同時に、中国、ベトナム、フィリピンなどアジア各地に進出したメーカーへの輸出基地ともなったのです。

4.製造業から加工サービス業へ

 それでは、これからの日本のものづくりはどのような方向へ向かうべきでしょう。

 それには、固定観念から脱却する必要があると思います。

 「ものづくり」にこだわることは悪いことではありません。しかし「ものづくり」は「物」すなわち「財」をつくるということだけではありません。人間の生活を豊かにするためには、使い捨てられる「財」が溢れている今日では、「物」でなく、生活に必要な機能や心を豊かにするアートなど優れた「サービス」が必要とされているのです。

 これは、消費財の世界だけでなく、生産財の世界においても同様です。「ソリューション」という言葉がビジネスに登場してから長い年月が過ぎました。まさに「問題の解決」が求められているのです。情報業界だけの限定用語として使う必要はありません。社会や企業運営あるいは家庭に欠けているものを補い、充足させてくれることを意味するのであれば、サービス一般の言葉として広く使用されるべきです。

 そのように考えれば、先進的な「ものづくり」は「財」を生産する製造業に限定せず、「問題の解決」のサービスとして発想を変えてみる必要があると思います。特に、研究開発を支えるためのサービスを提供するという姿勢が重要です。

 大田区では、企業規模は小さいが、現在存続している中業企業は、それぞれ独自の加工技術を持っています。これを活かして、様々なメーカーからの難しい注文に応じてきたのです。これからは、その存在意義を認識し、日本全国を超えて、世界各地からの困難な課題に応えるようにしていくべきでしょう。それには、どんな複雑で超精密な要求にも対処できる、技術と技能を高めていかなければなりません。そして言葉の壁もあります。国際間の文化的相違やビジネス慣習の違いも認識する必要があります。経営資源の乏しい中小企業だけでは、それらの課題を乗り越えられないかもしれません。そこで、中小企業の支援機関が間に入って、国際間の調整を行ったり、ビジネスの結びつきを支援したりすることが重要となります。

 大田区では、このような観点から、国内外の展示会に中小企業と共同でマーケティングを行ってきました。大田区の「ものづくりブランド」をPRし、どのような注文にもこたえるサービス業としての加工技術力をアピールしてきました。

 今年7月1日に初めて開催した「加工技術展示商談会」には、大田区の出展企業84社に対し、わずか5時間の開催時間中に1100名の来場者が訪ねてくれました。すべて大手・中堅のメーカーの担当者で、多くの引き合いを得ることができました。

 日本の産業は、アジアとの連携を深めなければ発展がない時代に入りました。アジアにおける産業の棲み分けを意識し、日本において推進すべき先端技術の追求と、それを支える基盤技術の加工業の革新を進めることが極めて重要となっています。

 アジアにおける共生の実現に向けて、草の根の交流と協力を深めましょう。


 アジア経済の専門家である信用金庫中央金庫総合研究所 アジア業務室長 篠崎幸弘氏が以上の講演を聴いて、要旨を実に分かり易くまとめてくださり、論文に引用していただきました。参考として併せてご覧ください。
「国際分業体制構築に向けた東京・大田区の挑戦」- 信用金庫2008年9月号掲載(PDFファイル:3,645KB)

ページトップへ戻る